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シンシウエニシ徒然草々


Diary-2007/08/18
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それでも僕は


「それでも僕はやっていない」という映画を見た。

痴漢冤罪の裁判ドキュメント映画だ。
日本の刑事裁判制度の問題点を上手く表現している。
内容は、恐ろしい、の一言に尽きる。

起訴された時点で、無罪判決はありえないと考えてよい。
冤罪で起訴されるようなことがあれば、諦めるしかない。
警察、検察という国家機関と争うのに、ジャッジマンが国から給料貰っているんだから、もう勝てるはずがない。

裁判官は無罪判決を連発すると、出世できなくなる。
仕事仲間の検察の面目を丸つぶれにするからだ。
おまけに、素早く裁判を終わらせたいので、被告の言い分の証拠を見ることを拒否することができる。
裁判官が裁判の前に有罪を決め付けていれば、どうのような証拠があっても無罪にはならない。

winnyの作者が訴えられた裁判でも、判決文はどう読んでも無罪の説明に聞こえるのに、何故か有罪判決だった。

裁判は真実を判断する場所ではない。
「裁き」と言う言葉に惑わされるが、ただ刑罰を巡っての争いである。
争いなので、相手が正しいかどうかではなく、強いか弱いかで判決が決定される。
よって、小市民であることが罪とされる。
みんなお金持ちで権力者になる努力をしなければならない。

映画は痴漢冤罪についてだが、本当の痴漢は直ぐに認めて、略式裁判により、数万円の罰金を払えばそれで終わりである。

冤罪の場合、当然、罪を否認するので数ヶ月拘留された上、数百万円の保釈金に、数千万円の裁判費用、数年の裁判期間に、多くの場合仕事を失う。
そして97%で有罪になり、数ヶ月の懲役を受ける。
真犯人は痴漢を続ける。

痴漢には優しいが、無実の人にはとことん厳しい警察。
見通しのいい交差点で一反停止違反はつかまえるが、窃盗、詐欺団、不正をしている高級官僚はなかなか捕まえられない警察。
私達は、悲しいくらい弱肉強食の世界にいる。

全ての犯罪について起訴後は当然、警察の捜査は行われなくなる。
もし冤罪が実証されれば、真犯人を捕らえる捜査のやり直しになるが、その時にはもう全てが遅く、解決すことは稀である。
真犯人だけが笑う。

誰もこんなシステムを作ろうとしたわけではないし、維持するべきものとも思っていないが、現状より優れたシステムを作る労力は何処にもない。
ダムや河口堰を作ったり、二千円札を作ったり、選挙制度を変えてみたり、前例がないから諦めたりと忙しい。

みんなみんな、今日この時で精一杯。
偉そうなことを言うには、まず自分がやらなくてはいけない。
だから、私はまんまる教祖として、権力とお金を集めよう。

目指せ、日本のまん丸国教化。
私は叫ぶ。
「総理大臣は月。まん丸教祖は太陽!」

とりあえず、当面は信者2桁が目標だ。
がんばれカルト!!


ではまた ごきげんよう。


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