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シンシウエニシ徒然草々


Diary-2007/07/29
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幸運を誇る


「日本人であることを誇りに思う」

誰かがこんなことを言っていました。
誰憚ることなく誇れることがあるということは、立派なことです。
日本人になるために、きっと相当な努力をされたんだなあと、思っていると、発言した人は、どうも生粋の日本人のようでした。

「あかんやん!」
と思わず突っ込みました。

誇るとは、優れていると思って得意になること。
また、その気持ちを言葉や態度で人に示し、自慢することです。

優れていると思って得意になるには、それ相応の裏付けが必要です。
そうでなければ、ただの勘違いになってしまいます。
何が裏付けになるのかは、人によって異なります。

日本人の親から生まれれば、本人の意思、覚悟、努力に関係なく、みんな日本人になります。
否応なく、日本文化に染まります。
そして、一度日本人となれば、例え税金を払えなくとも、日本人でなくなることはありません。
生粋の日本人が日本人であることは、本人に関係のないところで全て決まっています。
日本人に限らず、全ての人間が同じように、いずれかの国、民族に所属します。

これらのもので得意になって、それを自慢にするということは、生まれ、血筋、幸運など、本人ではどうにもならないことをその裏付けとしています。
ついでに、自慢するということから、上記の言葉は外国人に対して、日本人が優越していると表明する言葉です。
仮にその通りだったとしても、それもまた、本人の努力に関係なく、先に生まれて偉業を成した他の日本人への評価です。
とことん、本人には関係ないところで決まったものです。

「日本人であることは幸せだ」
と思っても、それは誇りにすることではないと、私は思うのです。

「日本人であることを誇りに思う」
というような場合の他にも、幸運を誇ることはたくさんありますが、そういうのは、「親を誇りに思う」くらいまでにしておきたいものです。

何かを誇るなら、幸運ではなく、自分のやったことで誇れるようになりたいものです。
そうすれば、幸運だけが理由のものをわざわざ誇らなくても済みます。

「お前は現実の厳しさを舐めとる。
みんながみんな、誇れるほど大層なことが出来ると思うなよ。
特にお前には、無理っぽい気がするから、そんなこと言うたらダメだ。」
突然、まん丸神のお告げがありました。
かなり凹む内容です。

まん丸教祖は素直に前言を撤回します。
幸運でも何でもいいから誇りましょう。
だって、そうでもしなきゃ、世の中厳しくてやってられません。
他人の威を借りて、他人の褌で勝負です。
自分の力より、できる他人の力に限ります。

教祖はこれからも、信者に頼りきって行きたく思います。
将来的には、たくさん信者さんに養ってもらいとうございます。


ではまた ごきげんよう。


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