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シンシウエニシ徒然草々


Diary-2007/07/12
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紙細工




零式艦上戦闘機は、1000馬力級戦闘機の世界最高峰です。
開発直後は、まさに最強戦闘機の1つに数えられました。
小国日本の航空技術の高さを証明した機体です。
当然、日本の主力戦闘機となって、終戦までに10000機以上生産されました。
そのため、今でもプラモデルなどで非常に人気です。

一方、第二次世界大戦中盤以降は、2000馬力級戦闘機が米国の主力でした。
1000馬力の戦闘機が550km/hで飛ぶのに対して、2000馬力の戦闘機は650km/h以上です。
100km/hもの速度差がありました。
傑作戦闘機と云えども、この差は如何ともしがたいものでした。

終盤には、2000馬力級戦闘機の世界最高峰ムスタングP51が、主力になりました。
これは、700km/h以上で飛行します。
零戦とP51は、自転車と250ccのバイクのような差がありました。

どうしようもないじゃないかと思うところですが、忍者と武士の国である日本には切り札がありました。
「精神は無限であるからして、兵器の量と質は、精神で補える!」
という精神論です。
日本軍によると、精神力を持ってすれば、自転車で150km/hも可能と考えられるのです。

もはやエスパーです。

そういえば、まん丸顧問の横原大人は、一目惚れの受付嬢に念力を送っていました。
彼も、エスパーかもしれません。

いよいよ終戦間近になると、竹槍でB29を撃墜するための練習が、町内会でお父さん達に行われました。
神話のグングニルや、ロンギヌスの槍より頼りになる竹槍です。

そんなこんなで案の定、日本は負けました。
国民総動員は出来ても、国民総エスパーは無理だったのです。
それ以来、世界に伍する航空技術も失われました。

零戦のプラモデルは、そんなかつての航空技術の栄光を、私に感じさせるのです。
でも、プラモデルは高いので、プリンタ用紙で作って見ました。

納得いかなかったので、横原大人にあげました。
彼は喜んでくれました。
気が咎めました。


ではまた ごきげんよう。


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